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ホリスティックな人々(3)-信じるな、疑うな-
信じるな、疑うな」なんと不思議なフレーズでしょう。

これはホリスティックの仲間だった、ある有名なヨガの先生に聞いた言葉です。その先生が、そのまた先生から言われた言葉であると教えてくれました。

その先生が、ヨガの第一人者であった有名な先生に入門したときに言われたと聞きました。普通は、「私の言うことを信じなさい」とか、いいそうですし、そういう人が多いですね。その人自身が言わなくても、取り巻きがそういったり、疑わずに言われたとおりにしなければいけない雰囲気が漂っていたりするものです。

「信じるな、疑うな」・・いったいどうしろと言うのでしょうか。そんなことを言われてどうしたらよいのでしょうか。

そういわれたらどうなるかを想像してみればわかります。本当はその状況を体験しないとわからないはずですが、あえてシミュレーションしてみましょう。

先生に何か指示、指導を受けたり、講話を聞いたりしたとします。「信じるな」・・それはそれでいいのかね・・「疑うな」・・・うーん、どうしよう、とりあえずやってみるしかないか。という日々が続くことでしょうね。「信じてやりなさい」と言ってくれよと思っても「信じるな」、こんなことやっていて意味あるのかと思ったら「疑うな」、もーどっちなんだよ、どうすればいいのよ・・と思いつつ、とにかくやってみよう、よーわからんが・・となるでしょう。

そんな日々が続いた時、その人には何が起こるでしょうか、何の先入観も持たず、ただ続けた結果、体験的に得たものを体の中に感じることでしょう。それは教わったものでもなく、自分で考えたものでもなく、自分の継続的な行動の結果、生まれたものといえるでしょう。

そこれはたと感じるでしょう。そういうことか、「信じるな、疑うな」・・「先入観を持たず、頭でっかちにならず、とにかく体で体験せよ、さすれば、自ずとわかるときがくる。その体験的理解こそヨガなのだよ」私はそのように夢想するわけです。

それは、他の治療にもいえることです。人は何かを信じたいです。そして安心したい。これをやっていれば大丈夫だよと保証してほしい。しかし、そういう気持ちでやると、必ず起こってくるのは、「なーんだ、ちっともよくならないじゃないか」信じたが故に不信が生まれるわけです。逆に疑いからは純粋な経験はできません。

人が純粋に体験することがいかに困難であるかを知っているからこそ、その高名なヨガの導師は一見、ダブルバインド(二重拘束)のような矛盾したメッセージを送ったのでしょう。「どちらかに傾きすぎるな、バランスをとりながらまっすぐ進め、その果てにはきっと何かがある」

同じようなメッセージとしてはこれですね。アントニオ猪木によって有名になった一休禅師の言葉

この道を往けばどうなるものか

危ぶむなかれ  危ぶめば道はなし

踏み出せば  その一足が道となる 

迷わず行けよ 行けば分かる
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【2005/06/19】  この記事のURL | ホリスティックな人々 | ▲ top
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