スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/--】  この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
言葉の力-「ハンドボール10月号」より

ハンドボール専門誌「ハンドボール10月号」にいいことが書いてあったので紹介しよう。  


言葉の力 文 久保弘毅


 「試合が始まってから終わるまで、つねに自分を『今』という時問に置くんだ。自分を過去に置いたり、未来に置いていると、いいプレーなんかできないぞ。
 例えば、後半が始まっているのに、いつまでも前半20分でのミスを気にしてるというのは、自分を前半の20分に置きっぱなしにしていることなんだ。 同じように、「負けたらどうしよう」と考えるのは、自分を試合終了後に置いているからだ。未来に自分を置いてしまったから、そんな考えに支配されてしまうんだ。
 過去にとらわれない。未来に不安を抱かない。心をつねに『今』という時間に置くのが大切なんだ。心の時間軸かぶれてしまったら、いいプレーを出せるわけがない。
 でも、人問は一人だと、どうしても心の時間軸かぶれてしまう。そんな時に声をかけて、過去や未来に行ってしまった仲間を『今』に引き戻してやるんだ。それが本当のチームワークだろ。
 時間軸かぶれそうになった仲間に、『今やることをやろうぜ』と声をかけてやれ。そうすれば、声をかけられたやつももう一度『今』に集中できる。そのために声が必要なんだ。意味のある声がほしいんだ。


 ハンドボールだけじゃないね。これはすべてに通じる言葉だよ。人は弱いので、過去への悔いや未来への恐れに振り回されて、今を生きられないものだ。病気になるとなおさら、その傾向が強くなる。そして、病気からの回復とは、過去と未来への思いを断ち切り、今を生きることができるようになることなのだ。病気になると、自分と向かい合わざるを得なくなるので、非常にきつい、嫌な思いを強いられる気分になるだろう。しかし、本当は、そういったことが、病気であるなしに関わらず、人が生きる上で重要なテーマなのだ。


 病気になったから考えざるを得なくなったのではなくて、病気になったから逃げ切れなくなったと言える。人は健康だと思って生きている時、必ずしも健康ではない。たまたま、自分の問題に直面せずいるだけだ。病気という壁をスルーできたとしても、老いや死という避けようのない壁が待っている。人は生きている間、死ぬ練習をしているようなものだ。そのことを強く考えさせられるのが病んだときだ。


 いわゆる健康だと思われている人を見てみればわかる。上の文章のように、心がぶれずに「今」を生きているひとがどれだけいるか?みな過去にとらわれないまでも、未来に向かってあくせくしているだろう。未来のために今を犠牲にしているだろう。別に健康なわけじゃない、たまたま、ぎりぎりまだバランスが保たれているだけだ。


 仏の教えは簡単だ。「執着を捨てよ!」ただそれだけだ。それはイコール「今を生きよ」ということだ。執着とは過去を取り戻そうとする気持ちや、未来をより良きものにしようとする気持ちのことをいう。厳しい勝負事の世界に生きている人は、心の一瞬のぶれが命取りになる。だから、今に心を集中する。そのために、日々精進する。


 たとえはものすごく悪いが、以前、プロのソルジャー「傭兵」の中でも、すごい人の言葉を読んだことがある。その人は言った「戦いの最中、戦場で死ぬかもしれないなんて、思ったこともない。ただ目の前にある作戦を遂行することだけだ」異常な集中力だ、見本にもならないし、ほめられたことでもないのかも知れない。しかし、それを読んだとき、上の文章を読んだのと同様の気持ちになった。「そうだよな、普通の生活だって同じ事だよな」と。


 普通の生活の中で、それほどの集中力を発揮することはできないし、そんなことを四六時中していたらえらいことだ。普段は後悔もするし、未来への執着もある、それで当然だ。でもつらいとき、苦しいとき、そういうときこそ、これを思い出してほしい。今に集中するのだ。そして、ぶれた心を今に引き戻してくれる人間関係を大切にしよう。

スポンサーサイト
【2006/09/25】  この記事のURL | 心療内科関連 | ▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。