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大山倍達かく語りき(5)
昔の他カ本願は神頼みだったが今の他カ本願は科学技術信仰だ

現代はテクノロジー万能の時代で、すべてがテクノロジーで解決するかのように錯覚しかねない。しまいには空手の強さもの追求もテクノロジーで、という時代になりかねない。「神仏は尊し、され神仏を頼まず」というのは宮本武蔵の言葉であるが、神仏をテクノロジーとかえてこそ、本当の武道修行であろう。強くなる道に早道はないし、楽な道もない。大山談

近年の科学万能主義には目に余るものがあります。新興宗教で病気が治ると信じている人々のことは笑うくせに、かたや、最新医学は生命の神秘を解き明かし、すべてを解決してくれると平気で信じています。民間人はそこまでバカではありませんが、専門家ともなると正気とは思えないほど、突飛なことを信じていたりします。一部が解明できると、そこからすべてに発展させ、全体像が見えてくるような錯覚に陥りますが、目の前で当たらし発見、新しいデータを日々目にしていると、それが妄想なのか現実なのか区別がつかなくなります。

自分の感性を放棄し、知識や技術に頼れば、そういう間違いにあっという間に陥ります。技術はあくまでも道具であり、それを使う側の感性が大切なのです。「バカとはさみは使いよう」とか「きちがいに刃物」とか今では差別語として使いにくい戒めの表現が昔はありました。便利さにおぼれるな、道具に支配されるな、道具を生かすも殺すも自分の感性しだいであるということでしょう。

あるものを盲信してしまえば、それは楽かもしれないが自分の成長はなくなる。成長するのに近道なし、これでよいという道を保証されてそれを歩んでいくところに成長なし。自分の成長は、未知なる領域に、不安と希望を持ちながら、勇気を持って日々精進すること、そこには近道はない。正しい答えが用意されているわけではない、自分が精進した結果が答えなのだ、そういうことではないでしょうか。

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【2005/07/29】  この記事のURL | 大山倍達かく語りき | ▲ top
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