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大山倍達かく語りき(2)
「稽古前・稽古中・稽古後とも同じ頭の使い方をする者には上達なし」

ただ漫然と道場に出て、言われるままに手足を動かし、稽古がすめばさっさと引き上げるような惰性的人間が上達しないのは当然の話だ。稽古前にはその日になすべき重点事項を練ってメンタルりハーサルを行い、稽古中は手直しすべき点を厳密にチェックし、稽古が済んだら反省したり助言を求めたりするような頭の使い分けを心がける意欲的人間は稽古の度にいくらかでも上達する。(大山談)

空手の稽古に限らず、人が生きていく上での行為に当てはまるのではないでしょうか。疾患からの回復、慢性疾患との関わりかたもまた同じだと思います。「稽古」という考え方は大切だと思います。勉強だと思うから、仕事だと思うから、治療だと思うから、よけいな考えが混ざり込んできて、よけいな損得勘定や期待と幻滅が混ざり込んできて、ややこしい話になってしまいます。

すべては、生きる上での「稽古」であり、上手になることを純粋に目指せば、「稽古の度にいくらかでも上達する」ということです。ここでさらに大事なことは、それほど意欲的にやっても、進歩は目に見えないほど少しずつであり、急に上手になるわけではないこと、その「稽古」に終わりはないということです。

私たちは、往々にして、「いつまでやればいいですか」「必ずよい結果になるでしょうね」という感じで、「結果を急ぐ」「結果がよくなることしかしたくない」という煩悩があります。

空手の稽古も人生の稽古も、終わりのない、結果に対して何の保証もない中に、それでもより上手になりたいという気持ちを忘れずに、地道な修練をつみかさねていくプロセスなのです。
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【2005/06/26】  この記事のURL | 大山倍達かく語りき | ▲ top
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