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絵は写真よりすごいんだ

わしは大学時代、美術部と柔道部に所属していた。そういうどっちつかずの生き方がわしの性格を如実に表していたわけだ。

すっかり記憶の彼方に消えていたことだが、実は今から25年前にわしら美術部員が描いた油絵が、ひょんなことから大学にもどってくることになった。

名古屋市が蓼科にもっていた保養所にわしらが学生時代に描いた油絵が飾られていて(それ自体を完全に忘れていたわけだ)、その保養所が取り壊しになるにあたって、絵の処分をどうするかという話になったらしい。そのまま破棄されるのはあんまりなので、絵を大学にもどしてもらって、それを機会に当時の美術部員が集まろうという話になったわけだ。とりあえず、今日のこの日まで大学生協の喫茶部に飾られていて、その場所でOB会が開かれた。

さすがに約25年ぶりの再開には、少々どきどきした。どんな顔をして入っていったらよいのか、誰がきているのか。まあ、皆、同じような気持ちだったろう。それぞれが、自己紹介をするうちには、場の空気は和み、昔の思い出が徐々に鮮明になってきた。飾ってあった絵は、「あーあれだったのか」と思い出したが、みるがみるまでどんな絵だったのか全くわからなかった。他の人たちの絵を見ると結構な秀作で、そこそこレベルが高かったんだなと改めて思った次第だ。

まあ、OB会がどんなに楽しかったのかをここで書きつづっても、これを読む人たちには何の関係もない話なので引いてしまわれるといけないので、このへんでやめておこう。わしが何を言いたかったかというと、「絵って写真よりすごいんだ」ということだ。

わが美術部には、生ける伝説と言われている、偉大な先輩がいる。誰もが、絶対にかなわないと素直に思ってしまう作品をコンスタントに作成されていた。その先輩は現在、脳神経外科をされているわけだが、その先輩について、わしの同期で同じ脳神経外科で研鑽した男が卒業後のエピソードを紹介してくれた。それは「手術記事の絵のすごさ」についてである。外科系で手術を行う場合は、どの分野でも、手術後に詳細な手術記事が書かれる。それは手術の詳細なプロセスと、手術部位のイラストからなる。生ける伝説と言われた先輩の技術はそこで発揮されていたようだ。わしの同期の男がいうには、言葉にならないほどすごいものだったそうだ。

そしてさらに、その男が言った、「そういう絵を見ていると、誰が何を意図して、どのような手術をしたのかが鮮明にわかる」というのだ。わしは愕然とした。「いくら正確で詳細な絵であっても、写真に比べたら、どう考えても劣るだろう、特に科学の分野では」と思っていたからだ。そうか、人は単に中立的な情報を眺めているわけではないんだ。その形の中に、意味とか情熱とか苦労とか、さまざまな人としての営みをみているのだ。そして、人が本当に知りたいこと、本当に感動することは、きれいで鮮明な画像ではなく、そこからにじみ出てくる、あるいはあふれてくる、人の心の動きなのだ。だから、鮮明な写真より、肉筆で描かれた絵の方が価値が高いのだということが何となくわかった。

コンピュータが間違いなく奏でる電子音楽より生の演奏に感動するのかのように、デジタルよりアナログなものになぜか心を引かれるのも同じことだろう。人はただ単にビットからなる正確な情報を知りたいのではない。一見、不規則のような固有の規則性やゆらぎ、不安定に見える安定感、そういう微妙なもの、二度と再現されることはない、その瞬間だけに誕生した形の中に、無尽蔵のエネルギーを感じ取るのだ。

逆に言えば、デジタル文化に飼い慣らされてしまうと、そういう微妙なエネルギーを感じ取る感覚が麻痺して、正確さ、鮮明さ、いつみても同じということに安心を得るようになってしまうのではないだろうか。そうなれば、人間にとってもっとも人間らしい部分を失ってしまうような気がする。

芸術は品評会ではない。おそらく、そういった微妙なエネルギーを表現したり、感じ取ったりする修練の場なのだと思った。

そんなことを感じさせてくれたのも、今回のOB会のおかげである。会の開催まで骨を折ってくださった方々に感謝します。

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【2007/07/07】  この記事のURL | 未分類 | ▲ top
パキシル報道に思う

いやー驚いた。「パキシルで自殺が増える」と大々的に新聞に載っている。ネットでも報道されている。医療者はこんな恐ろしい薬を出していたのか、いったいどういうつもりなんだと怒りを感じたり、「私ものんでいるけど、どうなってしまうの。なんて恐ろしい薬を飲まされていたの」と恐れおののく人がでてくるだろう。当然の結果である。そもそも、パキシルを内服している方は、鬱症状か不安症状か強迫症状があるわけだから、ただでさえ不安が強いとか判断力が低下している方に、この報道はないだろう。本当に問題なら、処方している医師に通達して、「厳重注意」を呼びかければいいではないか。

実は、医師の間には、とうの昔からパキシルを始め抗うつ剤は注意して使用するように喚起されている。だから今更、大々的に報道された意味がわからない。処方してる医師は、どんな薬も全く安全な薬があるわけではないので、薬を出す以上、その後に起こってくる問題には敏感になっているものだ。特に抗うつ剤の場合は、SSRIの場合、内服初期段階でイライラや不安が高まることがあるし、一般的な抗うつ剤を内服し始めて、鬱症状が軽減しかけたときに自殺の危険が高まる人があることは百も承知しているわけだ。もともと、精神が不安定な方に処方しているのだから、それほどのんきに構えている阿呆な医者はおるまい。

それなのに、医療者の頭を飛び越えて、「パキシルで自殺」という、全く限られた情報だけを垂れ流すとは常識を疑う。いったい何をどうしたかったのか。今現に内服している人、内服して改善している人、もっと心配なのは、内服に不安を感じていた人などへの影響は計り知れない。さらに問題なのは、この記事を読んで、いきなり内服を中止した人がどうなるか。長い間、ある程度の量を内服していた人であれば離脱症状が起こる可能性が高い。それはどうなるかといえば、内服中止後48-72時間くらいで、何かしら違和感を感じ始める。時には強い不安におそわれる場合もある。そうなれば、ますます大変な薬を飲まされてえらいことになったとパニックになる可能性だってある。

ここで注意してもらいたいのは、それに先立つこと数ヶ月前、インフルエンザ治療薬「タミフル」でも問題が起こったことだ。あのときは、ある年齢層に限って言えば、明らかに異常な事態が起こっていた。それなのに、厚生労働省は長いこと因果関係はないと言い続けていた。専門家たちもインフルエンザだけでも起こることで、タミフルと結びつけるのは間違いだと、口をそろえて言っていた。

パキシルを始め抗うつ剤なんか、もっと因果関係はあいまいだ。それに、もともと自殺という悲劇を防ぐために治療を開始するわけだし。今回の自殺行動というのも怪しい言い方だ。どの程度の行為をさして言っているのだろう。今若い人たちの間ではリストカット、オーバードーズは決してまれではない現象になっている。そういう衝動を防ぐためにSSRIを処方することだってあるのだ。そうなると、もともとの疾患と薬との因果関係はどうやって証明するのだろうか。問題があるケースが増えているというが、処方されるケースが増えているので、パーセンテージで表現してほしいものだ。

医療の中には、「疑わしきは黒」という考え方が普通だ。だから、今回、パキシルを始め抗うつ剤に警告がなされたことは当然である。わしは、警告されたことをとやかくいっているのではない。それに関しては異論はない。問題は、報道の仕方、その無責任丸出しの姿勢を批判したいのだ。それと、「疑わしきは黒」の伝統があったのに、なぜタミフルだけはいつまでも「因果関係はない」と言い張っていたのか。

タミフルは新型インフルエンザ対策で政府主導で備蓄していた。それに、他の治療法は今のところない。だから「タミフルは危険」という話にどうしてもしたくないという政治的思惑があったのではないか。それに引き替え、パキシルを始め向精神薬のたぐいは、「どうしても飲まなくてもいい」「むしろ医者が過剰診断・過剰投与している」という偏見があったのではないか。これこそ、言葉にはならない、無意識の偏見であろう。パキシルがパニック障害の治療をいかに改善したかを少しでもわかっていたら、そんな安易な発言はできないはずだ。

新聞報道には、ご丁寧に専門家の意見として、カウンセリングで治るケースもあるから安易な処方はさけるべきだという感じのコメントが載っていた。ふざけるな!それで何とかなるなら、言われるまでもなくそうしているさ。病気をいったい何だと思っているのか。それより、タミフルこそ、普通の免疫力のある人だったら飲む必要はない薬だろうが!

これはもはや科学的議論ではない。何かしら、得体の知れない人たちの思惑が、底の部分でうごめいているようにしか思えない。これらの報道でいったいだれが得をするのか、それを考えていけば犯人は推察できるかもな。ちょっと邪推しすぎか?わしの妄想か?

この問題は是非「たかじんの そこまでいって委員会」で取り上げてほしいものだ。

【2007/07/01】  この記事のURL | 雑感 | ▲ top
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