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男はつらいよ2
最近の一番の楽しみは、男はつらいよのDVDをみることだ。懐かしい、昭和の風情が味わえるのと、渥美清の嫌みのない演技が心地よい。

今日は、男はつらいよ純情編をみた。いつも通り、たたき売りをしながら放浪の旅をしているわけだが、山口県で子連れの女性にあう。その女性は親の反対を押し切って駆け落ちのように結婚したのだが、その男が働かない暴力をふるうで耐えられなくなり、不安ながらも五島列島の実家にもどるところだった。お金もない女性を助けながら、寅さんも一緒に女性の実家いく。
そこで父親は無愛想にしていて、そんな苦労をしている女性に戻れという。帰ってきて自分がもうしんでいたらどうするつもりだったのか、いつかは帰るところはなくなるんだと。それを聞いていた寅は自分に照らし合わせていう。「そう、その通りだ。帰る場所があると思うからいつまでたっても一人前になれねえ。もう俺はかえらねえよ、絶対にかえらねえよ」と。しかし、そこに船の汽笛が聞こえ、やもたてもたまらず、家を飛び出して船に乗り、またまたとらやに帰ってしまった。

そこでまたまたきれいな女性にであい、一悶着あるといういつもの展開だ。「今度の寅さんの恋はいつまで持つでしょう」みたいに下町では物笑いのタネだ。それを聞いてしまった、妹さくらは胸を痛める。そして、ある時、歩きながら「どうして人に笑われるようなことばかりするの」と愚痴をこぼす。
そこで寅さんがいうセリフがおもしろい。

「わかっちゃいるんだ、おれだって。頭じゃちゃんとわかっているんだ。でもよ、気持ちがいうことを聞いてくれねえ。だからよ、俺のせいじゃねえんだよ」
「もう二度とけえらねえ、そう思ったんだが、気づいたらかえってきちゃうんだな~」
まじめな顔をして、そういう寅さんをみて、それまで愛想を尽かして悲壮な表情だったさくらが思わず笑ってしまうのだ。
その言葉の裏には、恋愛も同じで、頭じゃわかっちゃいるけど、きれいな女性をみるとな~という自嘲的な思いが込められている。

長くなったが、別に男はつらいよの解説をするのが目的ではないよ。
「頭で考えること」と「気持ち」をきっちり別物で、気持ちが勝手に動くのは「自分のせいじゃない」って開き直っているところがすばらしいと言いたいわけ。それも、罪悪感とか悲壮感とかなくて、ごく自然に当たり前のようにそういっているところがむしろほほえましい、悪意はないからな。それで妹さくらも思わずわかってしまったわけだ。

言い訳でも何でもなく、寅さんにとっては自然現象、どうすりゃいいかわかんないよってことだね。寅さんの行動は、いわばADHDっぽいところがある。感情にまかせて動くところは、時には暴れん坊で手の着けられない馬鹿だし、時には情の深い優しさと思いやりに満ちた善人で、その両方あるところが魅力になっている。
最近なくなった、植木均の無責任男「わかっちゃいるけどやめられない」「金のない奴は俺んとこに来い、俺もないけど心配するな」ってのに合い通ずるものがあるね。

心に余裕がある時代は、こういう性質はある意味「しょうがないね~あいつは」で受け入れられやすいが、世知がらい世の中になってくると、無責任、自分勝手、危険人物っていうネガティブな面ばかりが強調されてしまう。

人間はそれほど、うまくはできていない。頭の考えと行動を一致させるには、気持ちのコントロールが欠かせない。しかし、一般的には、寅さんがいうように「知らねえよ、俺だってこまってるんだよ。気持ちが勝手につっぱしっちゃってさ。なんかいい方法があるなら教えてくれよ。ちゃんとやってみるからさ」って感じだろう。

それじゃあ困るのだけど、少なくとも、気持ちのコントロールはできて当たり前、できない奴はだめな奴ってのは間違いじゃないかな。基本はできない、でもそれじゃあ困ることもあるから、ちょっとずつ助け合いながら、バランスとっていこうよってことじゃないかな。とらやを巡る人間模様はそれを象徴的に表現していると思うな。気持ちのコントロールが何とかできているのは、妹さくらだけってところが非常に現実をよく表していると思うよ。

そんなことも想像しながら、男はつらいよを見てくれ。癒やされるよ。
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【2007/05/21】  この記事のURL | 未分類 | ▲ top
子供の教育

全国一斉学力テストが43年ぶりに施行されたそうな。そうか、私が小学校に上がる直前までやっていたんだ。学校の時は、学内の一斉テストがしょっちゅうあって、良い点を取ると星一つって感じで、それが何個かたまると、朝礼の時間に「十回賞~五十回賞」とかいって、表彰されていたな。中学に行けば、中部統一テストとかいうのがあって、高校を選択するために利用されていた。学校の中間テストや期末テストでは順位が全部張り出された。何番以内に入ることを目標に頑張ったな。そんなこんなでテストばっかりだった。競争の激化が・・・とかいっているが、昔はテストばっかやっていたけど、そんな風にならなかったぞ。

美術も、音楽も、体育もテストがしょっちゅうあって、自分の苦手な科目ではびくびくしながら過ごしたもんだ。意外なやつが異常に歌かうまかったり、何か特殊能力があったりして、クラスメートを驚かせたりした。当然、クラス内では、自然にそれぞれの分野の序列ができる。計算力では○○、漢字の書き取りは○○、暗記力は○○、走るのは○○、器械体操は○○、球技は○○、美術は○○、歌は○○、書道は○○・・・てな具合で、それぞれできるやつは一目置かれていたわけだ。何にも目立った能力がなくても、それはそれで普通に生きていた。いじめられるやつもいたが、いじめられるやつはブームみたいなのがあった気がするな。ブームが過ぎ去れば、そいつも普通に仲良くしたりしてね。別に大人が口を挟まない、介入しない状態で、何となくバランスがとれていた。

ただ、言えることは先生も、大人も怖かった。大人に怒られないように、怒られない範囲で悪さをしていたわけだ。見つかったりすると、次の日に学校にいくときはどきどきだ。どういう処罰がくだされるのか・・どういう処分になっても、子供は大人に文句はいわなかった。言えるはずがなかったわけだ。

それがいつの間にか大人が子供におもねるようになった。子供の顔色をうかがうようになったんだな。コンビニや他の店のレジで不思議な光景を目にするね。子供が買い物にくると、大人が、○円でございます。お買い上げありがとうございました。見たいなやりとり。昔なら、「おばちゃんこれいくら?」「○円だよ。はい、ありがとね。気をつけて帰るんだよ」みたいな、子供に対しては大人の立場で接したものだ。

どうして大人が子供にこびるようになったのかね。どうして子供に頭が上がらなくなったのかね?

この問題を考える時、いろいろな立場の人がいろいろな角度から意見をいうので、まあ何が正しいのかよくわからんし、それぞれみなの言い分は正のだろうけど、一番大きな問題はこれじゃないかと思うことがある。

今の産業構造の問題だ。漫画、アニメ、ゲーム、インターネット、メール、携帯電話、ファッション・・・などなど、みな子供を食い物にしているものばっかりが景気がいい。子供産業がオプションではなくて、主産業になっていやがる。子供を出汁にして商売しているって事だ。

それが教育上どういう影響があろうがお構いなしだ。あの手この手で売るわ売るわ・・・最悪の産業は携帯電話だろうな。子供らしさを完全に崩壊させたアイテムだ。

携帯電話、携帯メールがなかったら、子供は完全に大人の管轄下に置かれることになる。昔、友達からの連絡といえば家の電話にかけてくるのが当然だった。ということは親がしらないところで何かするのは困難だということだ。かける方だって、好きな女の子に電話するっていえば、悪友何人かに励まされて、公衆電話から「・・・あの・・○○さんのお宅ですか。同級生の○○と言いますけど、○○さんをお願いします・・・」と言えるかどうか、最後まで言わせてもらえるか、取り次いでもらえるか・・命がけだ。長電話でもしようものなら、親が横でイライラしはじめたり、聞き耳をたてていたりで落ち着かない。電話が終われば「誰から?」と当然聞かれるわな、ごまかしきれるもんじゃないわな。
というわけで、大人文化の端っこの方で、大人の許してくれる範囲の行動しか、子供にはゆるされていなかったわけだ。

それが今はどうだ。電話だって内緒だ。電話代が高くなると怒られるが、メールなら楽勝だ。ご丁寧にパケホーダイとかだったら、何をどれだけやったって誰も知るよしもない。メールは電話ほどの緊張感はないからやりやすいしな。
というわけで、心を砕き、心をひやひやさせながら、勇気を振り絞って、大人の目をかいくぐり、言い訳を考えつつ、一か八かの行動をするというような心のトレーニングはできなくなったってわけだ。それに電話や手紙じゃあ、リアルタイムのコミュニケーションはできない。夜中は電話はかけれないし、誰がでるかわからないし、相手がいなきゃ終わりだし、手紙はいつとどいたのか、よんでもらえたのか、返事がくるのか、待つのに時間がかかる。それに筆跡もまるだしだ。漢字しっているかどうか教養も丸出しだ。

そういう子供が心を砕きながら大人のまねごとをするトレーニングの機会を、便利な道具がことごとく奪っていってくれるというわけだ。子供の弱みにつけ込んで、子供が飛びつく商売をどうどうとする。

健康にわるいのでたばこは吸いすぎるなといって、たばこをうる。アルコール依存症の怖さをうってながら、簡単にアルコールを売る。さらにさらに、命の大切さを訴えながら武器をうる・・・・そういうのと根っこは同じだ。きれい事をいっても、腹ん中はみえみえよってのが、子供にバレバレで、そんなんでどうやって子供に威厳がもてるのか。

子供をだまして産業が成立する社会のどこに教育があるのか、バカバカしくて話にならん。昔は、どんなに困っても子供を出汁にするような商売はゆるされないという文化があった。子供はきっぱり大人社会から差別されていたのだ。子供を汚いものから守り、より健全に育ってほしいから。

子供を出汁にする商売や、金貸しなどなど、昔は外道の商売とされていたものが、表舞台で一番景気が良く輝いている。それに目をつぶって、一斉テストがどうの、いじめがどうの、競争がどうのなどどいう議論はどうなんだ。そういう本質的な問題を解決できもしない大人に、何ができるというのか。

まあ、そんなことを言っても社会は変わらないので、せめて自分の手の届く範囲ではけじめのある文化をつくりたいものだ。実際できてないけどね。なんとかしたいね。

【2007/05/08】  この記事のURL | ホリスティックな人々 | ▲ top
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