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戦後62年 |
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今年も、終戦記念日がきた。その前に、8月6日、8月9日に広島、長崎の原爆の日を迎えている。 口で言うのは簡単だ。自分はどうすればいいのか、何ができるのか。もう一度、よく考えてみよう。 |
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絵は写真よりすごいんだ |
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わしは大学時代、美術部と柔道部に所属していた。そういうどっちつかずの生き方がわしの性格を如実に表していたわけだ。 |
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パキシル報道に思う |
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いやー驚いた。「パキシルで自殺が増える」と大々的に新聞に載っている。ネットでも報道されている。医療者はこんな恐ろしい薬を出していたのか、いったいどういうつもりなんだと怒りを感じたり、「私ものんでいるけど、どうなってしまうの。なんて恐ろしい薬を飲まされていたの」と恐れおののく人がでてくるだろう。当然の結果である。そもそも、パキシルを内服している方は、鬱症状か不安症状か強迫症状があるわけだから、ただでさえ不安が強いとか判断力が低下している方に、この報道はないだろう。本当に問題なら、処方している医師に通達して、「厳重注意」を呼びかければいいではないか。 |
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歴史の重み |
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今、我々はとりあえず安全に生活している。治安大国といわれていた頃に比べれば、殺人を含め、毎日のように犯罪報道がされており、そうのんきにも構えていられないのも事実だ。ただ、テレビのスイッチをつけなければ、新聞をみなければ、それほど普通の日常が危機的であるとは思えない。
格差社会といわれるように、社会の底辺では確かに異常事態が、刻一刻と広がり、社会を根底から崩壊させかねない流れにあるような気がするし、環境問題のように人類の未来とかいうのも危うくなっているのも事実だろう。 それでも、今、この瞬間に危機感はあるか?多くの人はないだろう。とりあえず、家の中、あるいは日の当たる普通の場所に、人通りが多い時間にいれば危険とはいえないだろう。予測不可能なアクシデントは例外であり、人がいる限りある確率で必ず起こる。 何が言いたいかというと、ほんの60年くらい前までは、そうじゃなかったし、それは遠い過去のことじゃない。今こうしていられるのは、やはり、当たり前のことではなくて、ありがたいことなのだということなのだ。 わしの父親は昭和元年(1926)生まれで、わしは昭和35年(1960)生まれだ。わしが中学2年生、14歳のころ、つまり昭和49年(1974)には父親は47歳だったわけだ。そのころ、わしは父親から、よく戦時中の話を聞かされていた。豊川海軍工廠で働いていたとき、敵機グラマンが機銃掃射をしながら飛んできて、逃げようとして友人が目の前で撃ち殺されたなどという話を当たり前のように聞かされていた。聞いている自分としては、遠い昔話のように聞いていたわけだ。 今年平成19年(2007)、わしは47歳になる。息子は14歳だ。わしが父親から戦争の話を聞かされていた状況とほぼ同じになる。父親は20歳で終戦を迎えているが、そういった悲劇は17-8歳の頃の話だ。 年齢を自分に重ね合わせてみる。自分が17-8歳、つまり高校生の頃の話を、今、息子に話して聞かせるということだ。なんだ、そんなことならいつもしているじゃないか。柔道部の時に、練習がどんなにつらかったか、どういういきさつで右腕を脱臼したか、友達が脳しんとうを起こしたとか、鎖骨を折ったとか・・・まるで昨日のことのように、イメージも鮮明に思い出されて話をする。 そうか、それくらい鮮明なイメージで父親は自分に戦争体験を語っていたのか。そう思うと愕然とする。今の時代が、治安が悪いとか、政府のやり方がめちゃくちゃだとか、モラルが崩壊したとかいっても、わしの友達はグラマンに機銃掃射されて死ぬことはない。自分の命がいつ絶えるのかと思いながら生きているわけでもない。わしが息子に聞かせるのは、せいぜい脱臼か骨折だ。 確かに、そんなことは時代の問題であって、比べることではないだろう。どっちがどうという訳ではない。しかし、現実につい60年くらい前、親の世代は、そのような状況であったことを、自覚なく過ごしていてよいのだろうかということだ。今の日本の繁栄は、ことの善悪はともかく、確かにその前の時代の礎の上に成り立っている。それは動かしがたい事実だ。 「あの戦争は何だったのか」そうやって、向こう側の話にしてしまって、学者のように冷静に思考するのはかまわない。好きなだけすればいい。大事なことは、理屈ではなく感性として、その時代の上に自分たちがいるという感覚・・それは、そう簡単になくしてしまってはいけないことのように思うのだ。 「戦空の魂」という漫画がある。戦時中の若者がいかに生きたのかという話だ。わしは別に戦争の善悪をどうこう言う気はない(どちらかといえば、歴史など、後から理屈をつけるのは下品だと思ってい立場であるが)。ただ、そういう時代があった、確実に。しかも、ほんのちょっと前に。その事実をわしはうやむやにしたくない。それを実感しながら生きていきたい。 |
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男はつらいよ2 |
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最近の一番の楽しみは、男はつらいよのDVDをみることだ。懐かしい、昭和の風情が味わえるのと、渥美清の嫌みのない演技が心地よい。
今日は、男はつらいよ純情編をみた。いつも通り、たたき売りをしながら放浪の旅をしているわけだが、山口県で子連れの女性にあう。その女性は親の反対を押し切って駆け落ちのように結婚したのだが、その男が働かない暴力をふるうで耐えられなくなり、不安ながらも五島列島の実家にもどるところだった。お金もない女性を助けながら、寅さんも一緒に女性の実家いく。 そこで父親は無愛想にしていて、そんな苦労をしている女性に戻れという。帰ってきて自分がもうしんでいたらどうするつもりだったのか、いつかは帰るところはなくなるんだと。それを聞いていた寅は自分に照らし合わせていう。「そう、その通りだ。帰る場所があると思うからいつまでたっても一人前になれねえ。もう俺はかえらねえよ、絶対にかえらねえよ」と。しかし、そこに船の汽笛が聞こえ、やもたてもたまらず、家を飛び出して船に乗り、またまたとらやに帰ってしまった。 そこでまたまたきれいな女性にであい、一悶着あるといういつもの展開だ。「今度の寅さんの恋はいつまで持つでしょう」みたいに下町では物笑いのタネだ。それを聞いてしまった、妹さくらは胸を痛める。そして、ある時、歩きながら「どうして人に笑われるようなことばかりするの」と愚痴をこぼす。 そこで寅さんがいうセリフがおもしろい。 「わかっちゃいるんだ、おれだって。頭じゃちゃんとわかっているんだ。でもよ、気持ちがいうことを聞いてくれねえ。だからよ、俺のせいじゃねえんだよ」 「もう二度とけえらねえ、そう思ったんだが、気づいたらかえってきちゃうんだな〜」 まじめな顔をして、そういう寅さんをみて、それまで愛想を尽かして悲壮な表情だったさくらが思わず笑ってしまうのだ。 その言葉の裏には、恋愛も同じで、頭じゃわかっちゃいるけど、きれいな女性をみるとな〜という自嘲的な思いが込められている。 長くなったが、別に男はつらいよの解説をするのが目的ではないよ。 「頭で考えること」と「気持ち」をきっちり別物で、気持ちが勝手に動くのは「自分のせいじゃない」って開き直っているところがすばらしいと言いたいわけ。それも、罪悪感とか悲壮感とかなくて、ごく自然に当たり前のようにそういっているところがむしろほほえましい、悪意はないからな。それで妹さくらも思わずわかってしまったわけだ。 言い訳でも何でもなく、寅さんにとっては自然現象、どうすりゃいいかわかんないよってことだね。寅さんの行動は、いわばADHDっぽいところがある。感情にまかせて動くところは、時には暴れん坊で手の着けられない馬鹿だし、時には情の深い優しさと思いやりに満ちた善人で、その両方あるところが魅力になっている。 最近なくなった、植木均の無責任男「わかっちゃいるけどやめられない」「金のない奴は俺んとこに来い、俺もないけど心配するな」ってのに合い通ずるものがあるね。 心に余裕がある時代は、こういう性質はある意味「しょうがないね〜あいつは」で受け入れられやすいが、世知がらい世の中になってくると、無責任、自分勝手、危険人物っていうネガティブな面ばかりが強調されてしまう。 人間はそれほど、うまくはできていない。頭の考えと行動を一致させるには、気持ちのコントロールが欠かせない。しかし、一般的には、寅さんがいうように「知らねえよ、俺だってこまってるんだよ。気持ちが勝手につっぱしっちゃってさ。なんかいい方法があるなら教えてくれよ。ちゃんとやってみるからさ」って感じだろう。 それじゃあ困るのだけど、少なくとも、気持ちのコントロールはできて当たり前、できない奴はだめな奴ってのは間違いじゃないかな。基本はできない、でもそれじゃあ困ることもあるから、ちょっとずつ助け合いながら、バランスとっていこうよってことじゃないかな。とらやを巡る人間模様はそれを象徴的に表現していると思うな。気持ちのコントロールが何とかできているのは、妹さくらだけってところが非常に現実をよく表していると思うよ。 そんなことも想像しながら、男はつらいよを見てくれ。癒やされるよ。 |
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